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はじめまして!nexus spa.ceのぶっちーです【自己紹介】

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はじめまして!
こども支援NGO nexus spa.ce(ネクサススペース)代表理事のぶっちーです!

今回は私ぶっちーの生い立ちと、ネクサススペースを立ち上げるに至った
きっかけをご紹介していきます。
※多少生々しい表現などをしている箇所もあります。不快な思いをさせてしまいましたら、申し訳ございませんm(__)m

自己紹介

ぶっちー
ぶっちー

名前:岩渕 広樹(いわぶち ひろき)
出身:埼玉県
ニックネーム:ぶっちー
年齢:33歳(2021年12月時点)
血液型:B型
好きな食べ物:タマゴ料理
苦手な食べ物:あんこ、甘いお豆
座右の銘:I can do it!

私の半生

生まれた瞬間から運命が決まった【0歳から5歳】

世の中はバブル末期。
昭和天皇が崩御される1年前の1988年1月、岩渕家の長男として誕生しました。
名前は広樹。
裕福ではなかったですが、食品加工会社に務める父と専業主婦の母の間に生まれました。

3歳のときに両親は離婚をしました。
原因は母の浮気。
そこから家庭環境は一気に変わりました。

父は仕事をやめ、毎日酒を飲み歩く。
そんな生活が続くはずもなく、様々な支払いが滞り、電気やガスが止まり、当時80円だったインスタント麺をかじる生活。
それでも酒をやめられない父は、消費者金融に借金をして、また飲む。

幼き広樹少年は、父がいないことに深夜気づき、父が行きそうなスナックや近所の居酒屋など探し回ります。
4-5歳の幼児が深夜一人で出歩いている。
30年前の日本でもその光景はさぞ異常だったと思います(笑)

そんなことをしていれば当然警察に保護されます。
そして朝、酒を飲み終わった父が迎えに来る。

そんなことを繰り返していた幼少期、ついに事件が起きてしまいます。
家のアパートでボヤ騒ぎ、、、
原因は当然僕です。
家においてあったチャッカマンを遊んでカチャカチャしてたら紙に引火。
物置かごと天井を焦げ付かせました。。。
消防にも通報され、この話は警察にも行くことに。

そしてついに児相(児童相談所)に通報→今までの警察での履歴も含め児相が重く判断し、埼玉県の児童相談所に一時保護されました。

児童養護施設での10年間【5歳から15歳】

児童相談所に行ってから約1ヶ月。
幸運なことに、僕を受け入れる児童養護施設がすぐに決まりました。
埼玉県北部にある施設でした。

そこでの生活はすべてが新鮮でした。

お世話をしてくれる保育士の方々への呼び名は、家族みたいに、、と
「お兄さん」「お姉さん」「おじちゃん」「おばちゃん」
元板前をしていた園長先生が、こどもの日やひな祭りなどで大きいマグロをみんなの前で
解体ショーをする。
深夜11時、いきなり始まる避難訓練(笑)

僕という人間を大きく創ってくれた、僕にとってはとてもかけがえのない場所。

今や児童養護施設は全国に600以上もありますが、様々な方針の施設があります。
その中でもここでの生活は私にとってはものすごく充実していました。

その中でも1つ、突出して私の人生に影響を与えたものがありました。
それは「ピアノ」。

今は自由に習い事をさせることができますが、当時はあまり習い事をする習慣が園児になく、園においてあったピアノを使って、上手なお兄さんお姉さんに教えてもらってました。

あまりものに興味を示さなかった僕が、人生で初めて熱中した瞬間でした。

みるみるうちに成長をし、月イチの園全体の誕生日会でのミニリサイタルや、小学校の音楽朝礼(月に1回朝みんなで歌を歌うという謎の朝礼笑)、そしてついには卒業式で伴奏をしたりもしました。

中学生からは吹奏楽部に入ったので、ピアノはやらなくなっていきましたが、僕が音楽を好きな礎はここから始まりました。

卒園。暗い高校時代【15歳から18歳】

高校入学とともに、私は施設を卒園し、父と一緒に暮らすことになりました。
相変わらず父の大酒飲みは変わらず、10年も離れていたのに僕が幼い頃からなんにも変わっていない状況に驚愕しました(笑)
やっぱり家も貧乏でした。。。

でも幼い頃からと比較して変わったことがあります。
それは、、、

「「アルバイトができる!!!!」」

高校に入学した僕は、すぐにアルバイトを始め、最低限の生活費と携帯電話費用を稼ぐ日々が始まりました。
でも部活は続けたかったので、引き続き吹奏楽部に入部しました。

僕の高校の思い出は何?と言われたら、間違いなく「部活」「バイト」というと思います(笑)
ある意味青春ですね!

私はこの頃ある夢を持っていました。
それは児童養護施設で働く「保育士」になること。

そのためには大学もしくは専門に通わなくてはいけません。
それを父親に伝えたところ、

「「うちにはそんな金はない!!!」」

と一蹴されました。
今考えれば奨学金制度などたくさんありますが、当時の僕にはその知識すらなく、泣く泣く進学を諦め、高校卒業後就職をしました。

そして、決意をするのです。卒業をしたら家を出て一人で生きていこう、と。

バンド活動に明け暮れた20代【18歳から27歳】

そんな人生の中でも僕には少ないながら、バイト先や高校で友人を持ちました。
ある時久しぶりにバイト時代の友人と再会。
その友達はバンド活動をしていて、どうやらメンバーが脱退するとのこと。
僕が音楽教養を持っていることを知っていたので、「一緒にバンドをやらないか?」と誘ってくれたのでした。

仕事をほどほどに、そこからは月3回のライブ、毎週のバンド練習、自費ツアー、、、などなど。
バンド活動を中心の生活をしました。
バンドでの新たな友人もでき、ちょっと変わっているかもしれませんが、私の人生は初めて明るい兆しを見せていました。

しかし、27歳のとき、ずっとやってきたバンドが解散することになりました。
私はせっかく続けてきて、交友関係も広がってなんとか別の形で音楽を続けたいと思っていて、試行錯誤していましたが、どれも成就せず。。。

そんなとき、東京を歩いていたら、ある外国人観光客に呼び止められ、、、

外国人観光客
外国人観光客

Peraperaperapera………………………….

ぶっちー
ぶっちー

(え、、、全然わからない、、、いいや、逃げちゃおう。)
ソ、ソーリー、、、、、、

ポケモンの技のような「にげる」を選択し、華麗に立ち去りました。
でも、そこから普段はふざけてばかりでしたが、真剣に自問自答していました。。

「あの外国人の方は、たぶん道を聞いてきたんだろうな。大丈夫かな?」
「なんで逃げちゃったんだろ、、、」

僕は、学生時代部活とバイトに明け暮れていたおかげて、全く「学」がありませんでした。
普通、英語をしゃべれないと言っても、ある程度は単語で返すとかできるじゃないですか?

いいえ、全然!!!(ドヤ顔)
本当に全くしゃべれない、単語を知らない!!
想像を絶するお勉強ができない子でした(笑)

そんなときあることをひらめきました。

セブ島での3年間【29歳から現在】

東京での出来事を経験し、僕は音楽をきっぱり諦め、「留学」に挑戦することを決めました。
といっても、留学には莫大な費用がかかります。
バンド活動ばかりしてきた僕には、当然そんなお金ありません。

そこで目をつけたのが、「インターン0円留学」
フィリピン・セブ島の語学学校で留学業務の手伝いをすることで、英語の授業費用と宿泊費用を大幅に安くしてくれる、というなんとも画期的な制度。

僕はこれだ!!!と思い、すぐ申し込みをしました。

英語ゼロの状態から、はじめはコンビニに行くのも苦労したフィリピン生活。。。
しかしながら、日本人・フィリピン人問わず、様々な出会いを経てそのままフィリピンの企業に就職を果たしました。

もちろん、日常生活も今までのものとは異なり、いいところも悪いところもたくさん見てきましたが、なにより27歳のときに決断をして、セブ島と出会えた自分自身によし!よくやった!と言ってやりたいです(笑)

フィリピンは成長著しい「新興国」であり、まだまだ発展途上中の若い国です。
テレビで見るセブ島は、「南国」で「とてもキラキラ」しているリゾート地ですが、その裏ではスラム街があり、ストリートチルドレンが物乞いをして、学校にも行けず日銭を稼いでる現状もまた、フィリピンの実情なのです。

そんなフィリピンの現状を見ながら、気づいたら過去の僕の経験と重ね合わせていました。

コロナ禍・ロックダウン・そして帰国【現在】

2020年前半から世界中に現在も猛威を奮っている新型コロナウイルス。。。
フィリピンは、前例のない疫病対策として、完全ロックダウン(都市封鎖)をはじめ、私もずっと在宅にて仕事を余儀なくされました。

仕事があり、給料がもらえるのはもちろん全然マシ。
レストラン・バー・タクシー・学校、、、すべてが閉鎖となり、街中に失業者が溢れました。

こどもたちは学校に行けず、一歩も外に出れず、親は仕事を失う。
負のスパイラルが続きました。

衝撃のロックダウンから、約1年半。
フィリピンでいろいろなことを吸収し、日本へ帰国しました。

幼少期の経験、フィリピンでの経験を経て、この度は「こども支援NGO nexus spa.ce」を立ち上げることになりました。

nexus(ネクサス)とは、ラテン語で「キズナ」という意味を持ちます。
キズナのある場所という意味合いで名付けました。

はじめは、地域のこどもたちの居場所づくりをするために、「こども食堂」から始めます。
新しいこども食堂では、フィリピンでの経験を活かし、英語にふれる環境づくりをしていきます。

今後このブログでは、活動についてや、社会的養護についての有益情報などを発信していき、一歩一歩活動をします。
2023年中のNPO法人化を目指し、しゃかりきに目の前の課題を頑張っていきます!

本来こどもたちが主役で、僕たちが手伝うだけなので、あまり自分語りはしたくないのですが、今回はここに至る経緯をお話したくて語ってしまいました。。。(ご了承ください笑)

最後までお読みいただきありがとうございました!!

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